新撰組・斉藤一の愛刀「鬼神丸国重」
京都・壬生の刀研師、源龍斎俊永が遺した「会津守護職様御預新撰組一等様刀改控」の記録の中には、
「元治元年六月七日」の日付とともに、32名の隊士たちの刀の銘や状態が記されています。
その二日前に起きた有名な出来事こそ池田屋事件。
隊士たちは損傷した刀のメンテナンスのため俊永に刀を預けており、これはそのときの記録ではないかと推測されています。
斎藤一の刀については以下のように記されています。
「摂州住池田鬼神丸国重二尺三寸一分刃毀レ小サク無数」摂州住とは現在の大阪府池田市にあたる地域。
江戸時代の刀匠・池田鬼神丸不動国重による業物で、メモによるとこの刀は1682(天和二)年に作刀されたもの。
斎藤がどのような経緯でこの刀を手に入れたのかは不明ですが、池田屋事件の際に活躍し、新撰組の名挙げに一役買っていたのかもしれません。
ところで、俊永のメモは多くの歴史小説に影響を与えた『新撰組始末記』や『新撰組異聞』
などでお馴染みの作家・子母澤寛(しもざわかん)が、新撰組に関連する資料を収集していたときに発見したと言われています。
そのためメモそのものの信憑性を問う声も多く、斎藤の愛刀は鬼神丸国重ではなかったとする説もあります。
実際、近藤勇が池田屋事件の前年に郷里の佐藤彦五郎に宛てた手紙の中に興味深い記述があります。
「剣は大坂者は決して御用いなさるまじく候」つまり、大坂の刀工による刀は用いるな、ということです。
これはある事件の際に新撰組のブレーン・山南敬助の刀である赤心沖光が折れてしまったこと、
それが大坂の刀工によって作られた刀であったことが原因の一つと考えられています。
大坂で作られる刀は実用性よりも装飾性を大事にする傾向にあり、刃の焼きが強く折れやすいとされてきました。
実戦が想定される池田屋事件で使用されるとは考えにくく、これが、
斎藤の刀は鬼神丸国重ではなかったという説の根拠の一つとして語られています。
商品名 鬼神丸国重
品番 NEU-111N
商品サイズ 全長:106cm・刃渡:73cm・柄長:25.5cm
重量 1220g鞘払い940g
材質等 鞘:朴木・柄:プラ製(赤鮫)・金具:合金・下緒:人絹白糸・柄糸:人絹白糸
仕様 縁・頭・目貫:龍の図・総柄海鼠鍔樋入刀身:鬼神丸国重写し刃紋・暗朱地に銀雲塗り鞘
コード 58090813匠
原産国 日本